ありのまま
こんばんは^^
今日も、まだまだ寒い日が続きますね。
春が近づいたと思いきや、まだまだ冬がしっかり在中しているような、そんな寒さでしたが、お日様はポカポカでした^^
昨夜は、月曜21時からの新生オヤジ倶楽部のレッスンに体験の方が4名こられました。
会長さんに、支店長さんに、弁護士さんに、最近婚約が決まった方にと、、
なんだか不思議ですが、やっぱり自己管理(身体や体力の維持)と仕事のスキルや立場とはイコールなのかな、、という言葉が私の中にポカリと浮かびました。
自分であるレベルまで身体をいじめて鍛えられてある方がほとんどでした。
さて、話は代わり、
今日は、ずっと考えていた事があり、
その事について書いてみますね。
「自然」と「不自然」
「正統派」と「個性派」
改めて考えさせられた事で、
きちんと理解しながら歳を重ねられる大人でありたいなと思い、書いて見ようと思いました。
最近、毎日毎日思います。
自然の風景、景色は何故あんなに美しいのか、、.....簡単にいうと、、
自然だからw
広瀬すずちゃんや、土屋太鳳ちゃんは、なんであんなに可愛いのか、、、
自然だからw
赤ちゃんは何故あんなに誰もを癒すのか
、、、自然で純粋(混じりけのない純粋さがあるから)だからw
うちの生徒の姫ちゃんは、何故あんなに皆に愛されるのか、、、そのままで自然だからw
「自然」、、この言葉って奥が深過ぎるというか、改めて私の大事にしている言葉でもあります。
改めて考えてみると、
私が何故か大好きで目が追いかけてしまう女優さん、アスリート達も、やっぱり自然、、なんです。
深津絵里さん、宮沢りえさん、杉咲花ちゃん、他にもいらっしゃいますが自然で美しい。。
イメージでいうと、
自分の髪の色、自分の目の色、自分の肌の色、自分のまつげの長さや骨格、自分の指先の爪、自分の話し方や考え方、自分の生き方や表現、言葉、、全部にしっかりずっしり「その人」「自分」が詰まっていて、
不純物が見当たらない、っというかんじ。
今から5年ぐらい前の自分の写真をみると恥ずかしくなります。。
派手めなメイク、しっかりファンデ、部分まつげに、高すぎるヒール、、、。
まぁ、若さといえば若さなのでしょうが、
成人式の写真に似た恥ずかしさや不自然さに両親に昔言われた言葉の意味が今頃分かったのでありましたw
さすがに、茶髪やネイルやカラコンには手を出してはいませんが、
やっぱり、【自分の素の状態の延長線に無い色】を【人工的】に作ると、違和感を感じるのだと思います。
もし、
日本人の黒髪を金髪にしたら、、。
白人さんの金髪を黒髪にしたら、、。
違和感しかないですし、
一重まぶたの人が無理矢理二重にしたり、
目幅に合わないマツエクをしている人にも、
やはり違和感を感じる。
瞳の色もそう。
「瞳の色ほど、天然の自分の本物の色は無い!」と思うほど本当に美しく感じる瞳。
カラコンで作った瞳の色は、太陽光の下でみると、不自然で本当の色ではないので、
せっかくの本物の輝きを消してしまっているように感じます。
子供達の肌や、生まれたままのパーツ、痛みのない綺麗な髪質にも、誤魔化しのない美しさにため息が出るほどうっとり。
おじいさん、おばあさんのロマンスグレーも
自然で、とても美しく感じます。
私は、年齢も年齢相応に見られたくて、
おばちゃんやおばあさんになったら、
【ちゃんとおばちゃん】や、【ちゃんとおばあさん】で在りたいなって思うんです。
若作りをしてる人達をみても、やっぱりどうあがいても20代、30代には見えないんだから、逆に必死さが見えて痛々しいなぁっと感じてしまいます。
年相応だからこその【その年齢の美しさ】って有ると思うんです。
「一生懸命逆らう」感じが一瞬でもあると、
やはり痛々しい感じがしますよね。
まとめると、
美しい、、と感じるものには、その【違和感が無い】からこそ美しいっと感じるのじゃないか、、と思います。
そして、もう一つ。
「正統派」と「個性派」について。
私は、きっと「個性派」の人間なので、「正統派」の人をみると、
「やっぱり正統派には敵わないな」って思ってしまうことが沢山あるんです。
例えば、ダンスを見に行った時に感じた事。
。
ジャズヒップホップが好きで踊ってきましたが、クラッシックバレエの人達が出てくると、その正統派の美しさに敵わないものを感じます。
そして、ダンスのジャンルに関しては、
自分が若かった時には分からなかった魅力や深さを沢山感じられるようになっています。
フィギュアなんかでも、正統派のバラードでショパンを踊れちゃう羽生結弦君の美しさには、誤魔化しの無い正統派にため息がでます。
音楽なんかも10年若い時は、KPOPやエグザイル系のピコピコ系音楽も聴けましたが、
最近は、オーケストラやクラッシック、葉加瀬太郎さんや久石譲さんなんかの芸術的で正統派な音楽に心を鷲掴みにされてしまいます。
俳優さんなんかでも、個性派美人さんより、正統派美人さんの人気や寿命の長さを感じるし、正統派で勝負が出来るって本当に凄いハードルが高いことなんだなぁと思います。
言い換えると、「素材美人」って事ですからね。
食事なんかもですね、
この歳になって、和食の創作料理なんかを「一番いい」なんて思うようになっています。アイスクリームなんかも、限定フレーバーより「バニラ」が一番美味しくなったり、
お水や日本茶の美味しさにハマったりしてます。
正統派である事って追求して追求しまくってではないと出来ないんじゃないか、、そう思うからこそ、「正統派」って「素材」や「本質」に誤魔化しがきかない不動さを感じてしまうんです。
今日もボイトレで40分も高校3年生と「綺麗とは何か」を語り合ってしまいました。
最近、生徒さん達とも良く話すのですが、
どれだけ同世代に「可愛いよ」と言われなくても、大人からみたら「貴女の方が可愛いよ」って事、、沢山あります!!
「作られた状態」をみるか「素材やその人らしさ」をみているか、
大きな違いがありますよね。
「今の時代にあったメイクやファッションをしている」イコール「可愛い」!
っという若者も居れば、
「いじってない天然のままの状態が、そのままでも魅力的」イコール「可愛い」!
っていう大人もいる。
私は、今系の子より、自分らしさがある人を美しいと感じるし、
【ありのまま】であれる人、【ありのまま】でも魅力的な人を美しいと感じます。
長くなりましたが、
どこを見て「可愛い」「美しい」と言っているかによって、評価は変わります。
まずは、自らも、【そのままの自分】を見直し、より素の状態で自信を持って生きていけるように、自分を客観視していきたいなって思いました^^
それでは、皆さま、
おやすみなさい^^
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